店主紹介

幼少期に食に興味を持つ

私は戦後間もない昭和26年に北海道小樽市で生を受け、現在71年の人生を歩んでおります。

 未だ終戦を引きずっていたその頃は、食べる物が今から見ると嘘のように少ない時代でした。

その為か幼い頃から食に関して多大な関心を持って育ちました。

自宅で親が仕事で留守の時など私が食事の支度をして兄と一緒に晩御飯を食べたり、同い年の従姉妹が学校の帰りに「鉄ちゃんお腹すいたぁ ご飯食べさせて〜」と来たりして 子供の頃から現在の仕事の下地ができていたようです。

20歳で老舗料亭の丁稚奉公へ

高校までは無事に進学したのですが、どうも頭の出来が今ひとつだったようで、何度も落大し、いよいよ20歳の時に母親から「お前は勉強ができないようだから将来の為に手に職を付けた方が良いようだね」と言われ、当時母親が勤めていた北の誉和光荘の料理長の紹介で、自宅直ぐそばにあった小樽の老舗料亭「小樽海陽亭」に丁稚奉公にあがったのです。

未だ、徒弟制度の強く残っている時代。先輩達や女将さんにみっちりとしごかれ、それと引き換えのように料理の基本からあしらいまで身に付けたのです。

 

その後サッポロ海陽亭、東京銀座海陽亭と転勤移動し、ここ東京に人生の根を下ろしたのです。

大手企業の来客食堂で管理職へ。食材の目利きを学ぶ。

そして、某大企業の来客食堂を任されていた小樽海陽亭の大女将の弟さんの計らいでその方の後継者として某大企業に入社、来客を接待するお店の食堂長として過ごしました。

その時から築地市場や会社近くの地方卸売市場などに出向き、食材の目利きする事を学んだのです。

そして現在の割烹店を開店

更に数年経ち管理職として人の管理や物の管理作業が増えて現場での作業が少なくなったのを機に、自分の仕事はこんな物じゃない、あくまで料理職人として生きるんだ という自己の再確認をして退職、翌年1997年、現在地に今の前身となる20人収容程度の割烹店を開店したのです。

 

コロナを機に全面的に改装

それから20数年、いよいよ歳のせいか仕事がキツくなり、ランチ廃止。そんな時に今度はコロナ対策で東京都からいろいろ規制が出て、んじゃぁもうここは店規模思いっきり下げて、お客様と相対でお話しできる程度の店にしちゃおうっというのでカウンターだけ6席のお店になった次第です。

 

以前より北海道料理の店という事で、食材収集の為に小樽の市場や、猿払の網元、厚岸漁協の直売店に出向き話を聞きながら勉強してきたのですが、以前の店ではお客様とはなかなかそう言ったお話もできず この度の改装でやっと思ったように説明や私の思い入れのお話しができるようになりました。

 

地元市場に頼らない「北海道直送」の食材仕入れ

 

小学校にあがる前から母親にくっ付いて毎日の様に入船市場に通い(当時一般家庭には冷蔵庫などという贅沢な物は無かったので、殆ど毎日市場に買い出しに行ったものです)母親から魚の種類、名前、食べ方などを教わりました。

 

いつも母親といたため北海道の独特の地料理の名前や作り方などもそれとなく頭の中に刷り込まれたようです。

 

店を開店してから数年後、こちらの築地(豊洲)や地元市場に頼らず、あくまで北海道の食材で近隣他店との差別化を図るべく北海道一周で漁協、各地の市場などを回って直送の道筋を付けることにしました。

 

紆余曲折がありましたが、結局現在の厚岸漁協、猿払漁港の網元、南樽市場の鮮魚店、青果店、塩干物店、練り物蒲鉾製造店、小樽の酒蔵、小樽、余市、仁木などに在るワイナリーと取引をしていただいております。

 

朝、取引先の担当さんに電話するとその時水揚げされた物が直ぐ荷造りされ直送されます。現地の市場から豊洲、卸し、小売店を経由されるより迅速に入手できているのです。

 

このように全く自己満足のために日々努力し、精進している71歳の爺さんのお店です。まぁ歳なので手は遅くなっておりますがおそらくご期待を裏切ることは無いと思っております。

 

爺さんの料理にご興味持たれた皆様 是非一度ご来店下さいます様お願い申し上げますm(_ _)、

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